フリーダム・ソサエティー(Freedom Society自由社会)

神様の理想建設の為の我々のビジョン

文国進理事長

天基12年5月3日 陽暦7月1日 日曜礼拝

英国、ロンドン、 ロイヤル ナショナル ホテル

(国進様が入場され、聴衆が拍手)

今日は、来てくださりありがとうございます。皆さんにお会いできてとても嬉しいです。我々はアジアと韓国で非常に忙しいです。我々の教会発展の面において、多くの進歩を成し遂げました。皆さんの中で“強い韓国”の講演を聴いたことのある人は 何人くらいいるか、興味あるのですが?(聴衆が、皆ではないが手を上げる。)

少人数ですね。今現在、アジアで、中国が軍事強化をしていることに、気がついていますか? そうですね、彼らはあちらで大変意義深い軍事力強化に力を入れており、しかも大変攻撃的です。皆さんの言論界はこれらのことに関して報道をしていないのは残念なことです。何故ならば、以前ある国が軍事力強化をしている中で、あなた達は関心を示さずにいたら、結局第2次世界大戦に巻き込まれていたのに気が付いたのです。覚えていますか?世界大戦が欧州の全域を破壊しました。しかし、ヒットラーの軍事力や彼の戦争時の能力は、一夜に築き上げたものではなく、戦争勃発までに約十年間かけたて軍事力を増強したのです。知っていましたか?基本的に、ヒットラーが軍事力強化をしているときに、イギリスやフランスでは、皆「まあまあ、彼は戦争を始めるはずがない」と言いましたが、戦争が起こったのです。ですから、この件に関して注意を払ってください。明日はたくさんの著名人に「強い韓国」の講演をする予定なのですが、今日は兄弟姉妹の皆さんに少し違うお話をしようと思います。

皆さんも見てお分かりのように、今日の題目は「フリーダム・ソサエティー(自由社会)神様の理想建設の為の我々のビジョン」です。皆さん、我々は、天一国、天国の話とか、真の御父母様が使命を完遂された、理想世界の基盤作りは成し終えたという様な話を沢山しましたね?しかし、実際、現在に至るまで我々は、天一国が一体如何なるものかを正確、かつ雄弁に説明を出来ずにいるのです。天国とは、何ですか? 天国の政治とは如何なるものですか? 経済はどうでしょうか?天国は如何なる構造になるのでしょうか?これらの質問に対して、我々は答えることが出来ていませんが、若し我々が天国を建設するならば、少なくとも設計図がどのようなものであるかを知らなければなりません。そうですか、違いますか?多分?(聴衆:はい。)

この様な主題は面白そうですか? (聴衆:はい。)

それならば、話しましょう。創造原理で勉強するように、神様は人間を御自身の子女として創造され、三大祝福、即ち個性完成を成すこと、家庭をなして(子女)繁殖すること、被造世界を主管すること、を人類に伝授しようと望まれました。この事は、皆さんが原理を通じて学んでいます。しかし、その3大祝福を相続する為に、神様は御自身の子女達に自由意志と自由、そしてそれとともに、責任分担を与えられました。

さて、アダムとエバは成長し、自身の生活をするようになり、3大祝福を相続するはずでした。そして、自由と責任を相続することによりその創造過程における神様との同伴者となり、さらに神様が人間に与えることを願われた被造世界を相続する為の必要条件を成立させることが神様の願望でした。しかし我々が既に聞いているように、エデンの園の時代には、神様の願望は成就しませんでした。

神様は、本来アダムとエバが御自身の子女となり、天使長は、神様と御自身の子女の僕として仕える為にエデンの園におかれました。しかし、エデンの園で何が起こりましたか?堕落です。その過程において、天使長はアダムとエバの僕の立場から主人の立場に変わったのです。彼が自分自身の位置を離れたのです。彼がアダムとエバを主管するようになることにより、アダムとエバを神様から引き離してしまいました。

天使長は僕として出発した一方、エバを誘惑し、その後、天使長と一緒にエバはアダムを誘惑しました。その誘惑の結果として、人間堕落が起こり、我々は3大祝福、さらに自由と責任を失ったのです。この事は、皆さんも原理を勉強されたので理解しておられるでしょう、そうですか?ここにいる皆さんは原理を勉強しましたね?(聴衆:はい。)

それで、堕落の結果が何ですか? 堕落の結果、我々の歴史上、大部分の人類は独裁者や専制君主の主管下で過ごしていました。人類が奴隷、僕になるように抑圧され、独裁者や王達の為に戦うことを余儀なくされ、殺害したり、大量虐殺をすることを、我々は目撃しました。これが我々を戦慄させる人類苦難の歴史であったわけです。しかしながら、神様は摂理を通じて人類を復帰し、エデンの園に人類を連れ戻すことにより、彼らが創造目的を完遂することが出来る機会をもう一度持てるようにと、役事されてこられたことを我々は知っています。結果として、我々人類は堕落し、(エデンの園から)追い出され、神様の祝福を失ったけれども、自由に対する記憶を未だに持っています。そして、歴史を通じて、歴史の大部分の性格は独裁や圧政であったけれども、エデンの園で堕落以前のアダムとエバが住んでいた時の記憶を映し出すような、自由の片鱗が現れた幾つかの機会が歴史上にあったわけです。

我々はこの自由の片鱗が、―束の間の復興、民主主義の復活や民主主義の誕生等が-古代ギリシャ時代とローマ共和国の時代に見る事が出来ました。しかし問題は、歴史を通じて、これらの基本的な理念、自由と民主主義、は持続可能ではなかった、すなわち、常時消えてしまったのです。アリストテレスは「共和制は民主主義に陥り、民主主義は専制政治に陥る」と言いました。自由はやって来ては去ってゆく、これこそまさしく我々が目撃してきたことです。希望はやって来ては消失する。これが悲しい人類史でした。

アテネの民主主義に見られるように、人々は指導者を選ぶ為に投票する事から始めましたが、民主主義が進歩するにつれて、指導者達は単に民衆受けの良いものであるということを基にして、国家政策を追求するようになりました。更に「さあ、我々は前進してスパルタ人を戦いましょう」「我々はスパルタ人よりも優れていなければなりません、我々は民主主義なのです」というような優れた演説をし、国家の為に何の利益も無く、返って国家を滅亡させる民衆受けのよい政策を追求したのです。最終的には、この様な政策を追求した結果として、国家はフィリップ2世に征服され、やがてアテネの自由国家は国王の支配下に陥ったのです。彼らは自由を失い、民主主義は去ってゆきました。

同様に、ローマでの最初の500年間は 国民が選挙で議員に投票し、議員達が国民の利益の為に国家を運営するという、ローマ共和国が存在したのです。しかしながら、ローマ共和国の末期に向かい、民衆受けのよい政策が出現し始めました。貧しい人達に土地を分配するとか、とうもろこし配給の助成金を支給するといったものです。「我々は無料なものがほしい。無料でくれ! 」債務を取り消し、民衆群衆に提供する等々がその例です。

国家から無料のものを提供することが究極的に国家を破滅させ、破産させたのです。民衆受けのよい政策、人気はあるが、持続不可能な政策を行った結果として、ローマ共和国は崩壊し、ローマの独裁制に取って代わったのです。民主主義は短期間現れましたが、人気至上主義が民主主義の終焉を招き、やがて専制や独裁制が民主主義に取って代わったのです。我々は今日の世界でも、人気至上主義の事例を見ることが出来ます。例えば、アルゼンチンのペロン大統領は「貧しい人達を助けよう!」と言いました。「貧しい人達を助けたり食事を与えたり、社会を平等にしよう」と呼びかけながら、彼は独裁者になり、国家を滅亡させてしまいました。彼の選挙当時のアルゼンチンは地球上10番目の富裕国家でしたが、彼の治世を終えた後は、最貧国家の一つになってしまいました。ヒットラーとナチスドイツに関しては、それがどのように結末を迎えたのか皆さんもよく知っていると思います。また別の事例ですが、ベネズエラのウゴチャベツ大統領です。彼は人気至上主義を使って彼自身を独裁者に作り上げました。今日全く別のシナリオがここ欧州で展開しているのが見受けられます。ギリシャを見てください。民衆受けのよい政策、即ち無料のものをギリシャ人に、もっと無料のものを「私」の為にという政策の結果として、国家が破産し、ヨーロッパの独裁に従わねばならない状況です。即ち、ギリシャの民主主義がヨーロッパの独裁主義に置き換えられているのです。南ヨーロッパでの収拾がつかなくなった社会福祉の為の出費がこれらと同様な問題を引き起こしています。毎日のようにイタリアでのそのような状況を見ていらっしゃるでしょう。歴史的事例をみてください。民主主義として出発したものが、人気至上主義に退歩し、それが常時、独裁―専制政治を導き出すのです。

皆さんもご存知のように、メシアの使命は地上に降臨して、創造目的を地上で完成し、神様の3大祝福を相続すること、即ち神様の家庭と主権を完成させることにあるのです。メシアは自由と責任を相続し、全人類が地上天国に入る為の道を開く為に来られました。 我々も原理を通じて学んだように、世界がアダムとエバの堕落の時と同様の状態、即ち長成期完成級の立場まで復帰された段階でメシアがこられるのです。それで今日、人類歴史のどの期間よりも、民主主義が世界中に遥かに拡大されていることを発見します。この様な側面から、我々は、エデンの園で堕落直前の状況と非常に酷似した段階、―即ちアダムとエバが神様の御旨を完成し、神様の3大祝福を相続し、地上天国を建設することに向けて選択をするか、 反対に、神様の御旨に肯定的に応答せず、神様の審判を受け、エデンの園から追放されるかもしれないという方向に選択をすることも可能であるといった状況―までやってきました。「自由」は今日、普及拡大されていますが、不安定であり、「自由が危険にさらされている」という問題こそ我々が理解する必要があることなのです。世界は堕落直前の段階まで戻ってきましたが、世界はその自由を確保し、全人類の完全なる解放を確保する為にメシアとその教えを必要とするのです。現代社会の状況と、現代民主主義、及び今日の社会の現状を理解する為に、エデンの園の状況と比較して現代社会と現在の実情を理解する必要があります。何故ならば本然の理想世界がエデンの園であるからなのです。神様の創造目的を成就する事こそが神様が意図されたことなのです。

人類の目的はエデンの園に戻ってゆくことなのです。しかし、70億で満たされた人類の今日の状況をエデンの園と比較してどのようにして理解することが出来るでしょうか? エデンの園では4人の登場人物がいました。神様、アダム、エバそして天使長でした。しかしながら、我々はこの4人の登場人物に合わせてみる時、いかに今日の社会と何十億の人々を関連付けたらよいのでしょうか?これこそまさに、我々が摂理歴史の方向性を理解しようと思えば、必ず解決しなければならない問題なのです。さて、真の御父母様は再臨主として、地上に降誕され、使命を完遂されることによって地上での神様の実体代身になられたことを我々は理解しています。そこで、真の御父母様は神様の代身です。それではアダムとエバは誰ですか?誰がアダムを代身しますか?実のところ、社会における男性全体がアダムなのです。エバは誰でしょうか?全ての女性がエバです。アダムとエバは世界の国民であり、ここ英国における民主主義のすべての国民を意味します。それでは、天使長は誰ですか?これが重要な鍵となります。誰が天使長でしょうか? 誰か当ててみますか?(聴衆笑う。)

民主主義において政府の役割は何ですか?人々に仕えることです。ですから、天使長は明らかに政府です。それで、現代の社会構造の中に、人間が堕落する前に存在したのと同様な関係、すなわち、神様、アダムとエバ、そして人間の僕である天使長がいるのを見ることが出来ました。しかし、人間堕落の時に何が起こりましたか?堕落の経緯はどうでしたか?天使長がアダムとエバの僕の立場から彼らの主人の立場に移行し、神様を拒絶、除去してしまうという過程でした。驚くべきことに、今日我々はこの過程を見ることができます。人気至上主義と言う名のもとで、政府が僕の立場から、主人の立場に置き換わるといった過程を通じてアダムとエバの堕落を目の当たりにしているのです。人気至上主義は社会的次元における人間の堕落です。人々に無料のものを約束しますが、あなた方が決算の日を迎えた場合、無料で受け取った物の代価が“政府の奴隷になる”という事なのです。人気至上主義こそが自由人がやがて政府の専制の支配下になってしまう元凶なのです。現在我々はそのような状況に立っているのです。神様の創造目的を完成させる方向に進むのか、それとも神様の摂理の方向を理解できずして、神様の審判を受けるのかと言う歴史の転換点に立っているのです。

御父様が天国に関しての描写をされる時、必ず話される幾つかの重要な概念があります。御父様が御言葉を語られる時には、必ず平和軍、平和警察のこと、そして世界の人々が、良心に従って法律も無く、弁護士、検事、裁判官も必要ない世界に住むようになるとお話されます。平和メッセージを読めば、同様の概念が何度も繰り返されているのが分かります。しかし、一体この概念はどの様な意味があるのでしょうか?法律も裁判官も無い社会がどの様にして存在しうるのでしょうか?平和警察や平和軍とは何でしょうか?そしてこれらが天国とどの様な関係を持つのでしょうか? 天国があり、平和であるはずなのに、如何して軍隊や警察官が必要なのでしょうか?これらは天国を理解する際、我々が必ず答えなければならない質問であります。何故ならばメシアとしての、真の御父母様が非常に強調されるからなのです。明らかにこれらはとても意義深く、重要な意味をもつものであるからです。

良心社会とは一体なんでしょうか?良心社会を建設すると言うことは果たして可能でしょうか?法律も警察も無い社会をどうやって実現できるのでしょうか?そうですね、実際のところ、そのような社会に非常に近似したものがあります。完全に弁護士も法律も無いと言うわけではありませんが、それに相当近い社会、即ち自己規制社会と呼ばれる社会ですが、その自己規制社会を実現する為に幾つかの要素分が必要になります.自己規制社会を実現する為の第1番目の要素とは私有財産であり、誰が何を所有しているのかを登録する為の最小限の法律が必要なのです。自己規制社会の為の第2番目の要素は、自由市場です。第3番目が競争です。競争が自由市場において存在する団体、それが営利団体であれ、非営利団体であれ、よい商品とサービスを提供する為に競争するという環境を作り上げるのです。彼らは政府にどの様にしろと言われなくてもそうするのです。その競争という環境のなかで、より効果的な出費と安い経費でより良い品質の商品やサービスを提供することの出来る団体だけが継続して生存することが出来るので、彼らはそれを効果的にするのです。この様な観点を理解する時に、法律も無く、警察も無く、私に如何しろと言う政府も無い社会というものが存在することが可能であると見ることが出来るのです。これは歴史的に可能であるばかりでなく、これこそが富の産出が存在する理由なのです。

現代世界で見ることの出来る富の全てが、起業家や自由人がビジネスを起こすことによって創り上げられたものなのです。政府によって創り上げられたものではありません。政府が社会を支配する中では、富の産出や技術発展は全くあり得ず、むしろ自由と自由経済こそがその全ての富を創り上げたのです。原理的観点や御父様の御言葉から理解することが出来ることは、人間の必要とする全ての商品とサービスが、自分達で規制出来るモデルやパターンにそってなされる(自己規制)社会こそが天一国であると御父様は描写されておられるのです。

しかし平和軍の概念とは正確には何でしょうか? 我々は、何故そのことが強調されているのかを考える必要があります。どの様な意味でしょうか?その意義は何でしょうか?万物主管が 何を意味するのか自問自答してみたことがありますか?どんな意味ですか?人間がどの様にしてライオン、虎、象、そしてサイを主管するのですか?彼らに良く接するので彼らに対する主管性を持っているのですか?真面目なはなしですよ。これは真剣な質問です。どの様な手段をもって創造物に対する主管性をもっているのですか?どんな手段ですか?(聴衆の中の男性が「武器です」と答える。)

(その男性を指して肯定しながら、)正解です。武器、銃を持って我々が彼らを狩猟したり、食べたりする事が出来るのです。武器を持っているが為に、動物を狩ることが出来るのです。それ故に万物に対する主管性を持っているのです。それこそが主管することであり、完全なる統制をすることであり、生と死に関する力を持っていると言う意味なのです。これこそが我々が動物を殺し、食べる権利があると言うことを正当化することが出来るのであり、神様がその権利を我々に与えてくださったことなのです。それ以外に動物を殺害し食べるということを、どうやって正当化することが出来るのでしょうか?皆さんが猫、犬や動物を飼っていることを知っていますし、皆さんも動物達に感情があるのを知っていますね。これは重要なポイントです。何故ならば究極的に天一国の国民として、神様の息子、娘として、我々は成長、成熟しゆくことにより、動物の生死に関して権威を相続することが出来るようになるのです。その権威を成熟した方法で、全体の利益の為にのみ使うのです。それで、3番目の祝福とは、その成熟過程において、我々が家庭を形成するところから社会活動に参席するようになるのですが、それはどんな形でするのでしょうか?それが平和軍であり、平和警察です。

天一国の国民は、成長、成熟し、いずれは兵隊や警察になるようになるのであり、これこそが 重要な概念なのです。このことを良く描写するもの、この理解に近いものがスイスにあるスイス民兵制度です。スイスの国民は完全雇用すなわち、フルタイムの仕事をもっています。それぞれが自分たちのフルタイムの仕事をし、生活をおくっているのです。ある人は革製品の修繕屋、パン屋、映画館でのアテンダント、銀行家、漁師、織物屋でありますが、パートタイムの仕事として、スイス国民全員が軍人であり、武器を携帯し、国家を保護するという義務があるのです。ですから、国民が国家の権力の方向を所有する(決める)のであり、同様の概念がスイス民兵制度が軍隊であり、また警察にも当てはまるのです。ですから、天国に於いて私達全てが完全雇用の状態で職を持っていながらも、国家が国家を専属独占するために警察や軍隊の労務を提供するのではなく、国民自身こそが国境や国家の律儀を警備し保全するために、参加するようになるのです。天国では、皆成熟すると銃を携帯し、公共福祉の為にその銃を使用する事に責任を持つのです。

その状況がどうなるか分かると思います。直感的に皆さんもお分かりになると思います。歴史上どの機構、あるいは団体が最大の人間除去や殺戮を行ったでしょうか?犯罪者や殺人犯が殆どの人々を殺害したのでしょうか?それは、政府でした。過去100年間で、犯罪人や、殺人犯によって殺害された人数を足してみると、約500万人くらいでしょう。ところが、同じ時期にあらゆる政府によって大量虐殺されたり、政府の政策によって殺害された人数を足してゆくと2億4千万人以上になります。人々を殺害し、特に権力の方向性を独占するということが政府のやることなのです。政府は皆さんに「全てうまくやるので政府を信頼するように」と教育します。しかし、言いたくありませんが私は皆さんに「政府は国民に嘘をつき、全てをうまくやることが出来ない」という真実を伝えねばなりません。(聴衆:笑う)

大変驚きますね。そして何故政府が嘘をつくのかと推測してみるときに、政府が天使長であるからなのです。サタンです!(聴衆:拍手)

そして理想世界において天一国の国民として理解しておく必要がある、とても重要な点は、国民こそが社会の主人であることです。これがとても重要である理由ですが、政府はどのような手段を使って国民を奴隷にしますか?暴力行使の独占的所有、常備軍、フルタイム警察の暴力行使といった具合ですね。これらの手段を使って政府が皆さんを奴隷化するのですが、それ故、若し皆さんが天国を創建したいと願うならば、神様の意図は、天国の国民が、権力の方向性と武器使用も含めた、全てのものを所有するということであったと必ず理解しなければなりません。

問題は、皆さんがそれらを所有することを拒絶しても、それらが消滅しないという現実です。若し我々が、銃を所持せず、力を使うことを望まないからといって、それらが消えてゆくわけではなく、他の誰かが所有するだけなのです。善人がそれらを所有しなけば、悪人が所有し、それを使って皆さんを抑圧する、これこそが人類歴史だったわけです。天国での政府の役割を考察してみるとき、政府の役割とは国民に仕えることであり、出来る限り政府が所有するものが無い、すなわち、小さな政府、国民達のあらゆる活動をコ-ディネートし、国民が何をすべきかに関しては何も言わない、国民の抱負を成就する為の協助だけをしながらも、政府自体がそれをせず、国民が自分達で失敗しながら自分の問題を解決する。これが政府の役割の理想的な性質なのです。皆さんも、筋が通る話なので、直感的に理解することが出来るでしょう。

(スクリーンに映っているスライドを参照して)このスライドは独裁政治から無政府状態へ移行するスペクトルを示しています。今我々が天国の自由社会を語る時に、エデンの園で4人の登場人物、すなわち神様、アダム、エバ、それに天使長がいたことを知っています。 天使長はエデンの園において重要な役割があり、天使長なくしては我々は生きることが出来ません。天使長は常時そこに居ます、即ち政府は常に存在するのです。けれども政府の役割と大きさがとても重要なポイントである理由が、無政府状態を防ぐ為に、最小限度の政府は必要だからです。ある種の政府が存在せずしては、自由経済における個人所有はあり得ません。ですから、自由社会とは無政府状態(混乱)を防止する為に充分な政府を持つ社会を意味し、90-95%の個人所有を許可するのです。我々は過去にそのような自由社会を実際に見たのです。アメリカですが、大きな福祉国家を形成する前、18世紀から19世紀の初期まで、連邦政府の国内総生産に対して占める割合は僅か2%以下でした。アメリカの歴史上、殆どの期間に所得税は存在しませんでした。香港のような所に自由社会が存在するのが見受けられます。皆さんの国、イギリスでは沢山の問題が山積みされ、経済を管理するにあたっての多くの困難があり、社会福祉の為の出費が多いですが、皆さんは自分の国を管理することよりも香港の管理を上手にしておられます。

シンガポールでもこの事が見られます。この(自由)社会は国民の潜在能力を発揮させることにより、そして、「そうです、あなたなら出来ます。政府がやるのではなく、あなたこそやり遂げられるのです」と言うことで社会が成り立つのであります。これが神様の希望される社会なのです。神様は、アダムとエバ、即ち国民が社会に存在する全てのものを相続し所有することを願っておられるのです。それが神様の理想です。アダムとエバに伝授することが創造の目的だったのです。それでは、天使長の思想は何ですか?天使長の位置と観点は何ですか?これは明確なのですが、天使長、あるいは政府が全部を所有することです。これは共産主義です。それ故に明らかに共産主義はサタンの仕業であり、政府が全てを所有したがるのが共産主義の立場であり、共産主義は「政府が全てを所有するようになる時に、皆が平等である」と皆さんに言うのです。

そうです、これは皆さんが全て政府の奴隷であるという意味で、真実であるわけです。これがサタンが共産主義を通じて皆さんに約束する“平等”なのです。社会主義の80%がそうです。おそらく、英国の社会福祉民主主義は50-60%はそうでしょう。たぶんフランスは75-80%が社会主義です。皆さんも全ての国家に格差があるのが分かる様に、集計用紙上どの位置に国家が存在するのかにより、神側の理想に近い国家であるのか、サタン側の理想に近いのかが理解できます。人類歴史の闘争は神とサタンの両者の(闘争)でした。即ち御自身の子女に伝授しようとされる神様の御旨と自分自身で相続しようとするサタンとの間の闘争でした。自分達の創造性を主張することを熱望し、自分達の生活の所有権を持とうとする自由人達と、個人の生活条件の全ての側面を主管し、統制しようと追求する政府との間のものでした。人間堕落の結果として、この緊張と葛藤は歴史を通して流れてきたのです。しかし今、原理の理解と、真の御父母様の教えを通じて地上天国が如何なるものであるかという、はっきりとした展望を持つことができるのです。地上天国とは、自由人が全てを所有し、第3祝福を完成させ、自由人が内的及び外的な保安の警備をし、自分の所有に関して確信を持ち、責任を回避しない、そのような社会なのです。それが自由社会であり、責任社会なのです。

(聴衆:拍手喝采)

天国が如何なるものか、そして神様の人類に対する御旨が何であるかを理解するにつれ、また重要なことは宗教の役割が何であるのかを理解することです。我々は大きな政府に破壊される前のアメリカに自由社会をみましたし、その大きな政府の段階が何故やってきたのかも知っていますが、それは実は宗教こそがその背後で働きかけ、アメリカの自由を破壊しようとしました。「これは慈悲であり、社会福祉は慈悲である」と叫びながら、人々に福祉に頼るように、また社会福祉制度を作るように、社会福祉国家を創り上げる為に後押しをしたのです。これが宗教が自由を常に破壊しようとしてきた理由なのですが、これはキリストの十字架の故なのです。キリストが十字架に掛けられた為に、キリストを中心として形成された宗教は霊的救援のみを提供するのです。完全なる救援と地上天国を供給できないこと、これこそがこの宗教の限界なのです。それが故にキリスト教は不完全です。キリスト教は人類と社会を長成級完成期までしか運んでくれないのですが、それがまさしく我々が目撃している現状なのです。神様は、アメリカに自由を与えられました。神様は地上天国の実現の為に自由をお与えになったのですが、その時代の宗教がこの偉大な国家に神様が与えてくださったその祝福を理解出来無かったゆえに、宗教は実際のところ、その自由を破壊し、弱め、不具にしようと働きかけてきたのです。それ故に、自由社会は新しい宗教なくしては存在し得ないのです。その(新しい)宗教と再臨主の教えがなければ、自由社会は維持が不可能なのです。

地上に自由社会を保存することの出来る宗教は他には存在せず、それは創造原理、および堕落論の理解を通してのみ可能であり、世界の人々が自由を熱望し、天国に住もうと望むならば、彼らは真の父母様を再臨主として受け入れなければなりません。(聴衆:力強く拍手する)